キレることの無価値さ

世の中には少数ではあるがキレる人がいる。
キレる理由はつまるところ「相手が自身の思う通りの言動をしないこと」にある。
・友人と旅行先で行きたいお店や交通手段で揉める
・業務で部下が自分の言った通りに行動しない
・育児で子供が言いつけを守らない 等

このような自身の期待と相手の実際の言動には差がある。
そのような差がある時に、自身の通りに行かないときの感情表現の一つが「キレる」だ。

この「キレる」ことの危険性を今回紹介したいと思う。

キレることは、キレる理由が自身と現実の差と言う他人からは分かりづらい要素から生じる。また、その時の感情は急激でその場にいるほとんどの人がその感情変化についていくことができない。これら2点から分かることとして、他人から見たら「何が起きているか分からないけれど急激に感情変化した状態」=「キレる」となる。

そうした時、キレられた人はどうなるだろうか。
突然そのような感情変化をした人間と対面すると、キレられた人からするとキレた人は「今後、同様にキレる可能性がある人」という扱いとなる。

つまり、今後いつどこでキレるか分からないという地雷原のような人間だと思われる。誰だって地雷原は歩きたくない。そんなところを歩くより心穏やかに平原なり、海岸沿いを歩いていたい。そうした思いがある為、人はキレる人から距離を置いて生活することを望む。これはどのような人間関係でも同様だ。仕事・友人・恋愛全てに通ずる。

キレることによって一時的に自分の要求を相手に飲ませることができたとしても、今後心を通わせるような人間関係は一生築くことができない。そうした人間がこの社会には数多く存在する。

そうした人間にならないように、そうした人間と接触した時は憐れみを持って慈愛の心で接するようにしよう。